タバコと子育ての迷惑を混同したのは、わざとなのか?

 まだ考察中の記事なんですが、【眼光紙背】タバコが迷惑なら、子育てだって迷惑だ!ってのがなんか引っかかる。

 好き嫌いとか迷惑というだけだったら、子育ては迷惑だと思うのですが、

例えば、路上喫煙禁止区域を設定した市町村が、喫煙ルームを設置するということに対して、「その費用を誰が負担するのか」と言うのである。
もちろん、それは税金に決まっているのだけれども、彼らは「喫煙という個人の趣味を税金で負担するべきではない」のだという。

もし、そうした理屈が通じるのならば、私は児童公園や市立の保育園や幼稚園、小中学校の全面閉鎖を求めたい。なぜなら、子供を持たない私が、子育てという個人の趣味を、税金を通して負担してやる理由はないからだ。
子育てというのは、個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為であるのだから、当然負担も受益者負担であるべきだ。そう主張したい。
私には「個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為」と「個人が自らの幸福を追求するためにタバコを吸う行為」に、大きな違いがあるとはまったく思えない。「子供を育てる行為は、子供を育てない人に迷惑をかけていない」と思うかもしれないが、家族を守ることが絶対善であるという社会通念によって、単身者がいかに不利益を受けているかを考えれば(*2)、煙なんかよりもはるかに迷惑な存在なのである。

それでも私が、学校の全面閉鎖などを求めないのは、たとえ迷惑であっても、それを互いに我慢していくことによって、始めてみんなが幸せな社会が実現すると考えているからである。それが誰もが自分にとって不愉快なことを声高に主張し始めてしまったら、社会は成り立たないだろう。
「子供がうるさいから公園を撤去しろ!」などという主張が通ってしまうような社会を、私は許容したくはない。タバコもそれと同じである。
人は誰しも、他人に何らかの迷惑をかけながら生きている。人権を主張することも大切だけれども、だからこそまずは他人の権利を認めることから始めてみてはどうだろうか?

 いやまぁ、そうかもしれないんだけどさ。

 自分自身が教育を受けるに当たって既に享受した、つまりは既に先駆者が支払いつづけた「児童公園や市立の保育園や幼稚園、小中学校」の施設の開設・維持費についてはどうなんでしょ。
 これらを建設し維持してきた税金の支払いは、こどもを生まなかった人たちも含まれると思うんですよ。

 迷惑を我慢するのはお互い様というのはあるけれど、こどもの育成というのは社会の今後の労働力の確保という側面があるっつ〜こともわざと排除して書いてる。

 この記事に対するブクマのコメントも賛否両論。

 極論は面白いっちゃぁ面白いんだけど、「お互い我慢する理由」が「お互いの嗜好を尊重する」部分だけじゃない例を引き合いに出しちゃった時点でダメだろ、これ。

 同じレベルの比喩をもってこなかったら、別のレベル(次元)の理由を優先順位高と思っているひとたちから反発しか得られない。ってことで、議論にすら登らないでペケがつく。
 それを知っていてわざと書いた記事だとしたら、その意図が見えない。
 ブクマコメントのなかには「それほど嫌煙行政がひどいってことだ」と良心的にこの記事を読んで書いている人もいたけれど、やっぱり引き合いに出した例が不適切すぎる気がするんだが。