三行で頼むって何か分からん(4/16追記)

 はてなの匿名日記(通称ますだって言うの?)は時々すごいエントリーがあります。
 匿名日記全部をチェックする時間がない身としては、はてブという機能はすばらしいと思うわけです、そういう「すごいエントリー」にぶつかったときには。もちろん、匿名日記以外の良記事もはてブで見つけて感動するのですが、普通のblogや@ITあたりの記事だと、はてブ以外でも同時期に発掘されていることが多いのです。
 でも匿名日記の良記事の発掘力ははてブが最強だと思います。

 本日の発掘品。

こんにちはこんにちは!!帰化手続き中の在日です!

 良記事なんだなぁ。
 で、こういう長い記事になると、必ず「3行で頼む」って書き込みがあるんですが、これの意味ってなんでしょう。
 3行というか、半分にするのも素人では難しいと思うんです。
 プロの文章書きでも難しいんじゃないかな。

 もしかしたら、それを承知で「3行で頼む」って書いてるのかもしれません。
 だとするとその意味は?

 良エントリだとは分かるが、長すぎる、と言いたいのかもしれないけれど、じゃあどこをどう編集すればいいのか? 自分で考えろといいたいのかもしれないけれど、口語でここまで読ませる文章を「3行で」って書き込める(公に言える)気持ちが良く分からないんです。


 まぁこの日記を書いたのは、この匿名日記を書いた人へのエールなんで、「3行で頼む」を書いた人はどうでもいいんです。

 長文だけどこれだけ読ませるのはすごいし、そこに書かれているあなた自身もすごいよ。


 私は日銭には事欠かない商人の子が多い私立の高校出身です。資産家や年収が多い家の子が多かった中で、出会う在日の子はやっぱりお金持ちでした。だから、変な話、『ウチより年収の少ない家の在日の子』というのを知りません。
 在日韓国人も在日台湾人も同級生やお稽古事で一緒の子たちのなかに何人かいたけれど、通り名を使っていなかったし、基本的にうちよりも豊かな家庭の子が大部分でした。そういえば近所にパチンコ屋さんを営む韓国人がいたけれど、地域に貢献していたため、警察から感謝状をもらっているし御近所の住人からも非常に尊敬されているお父さんだったので、在日特権とか在日に対して発せられる嫌韓という言葉を聞いてもぴんと来ることがありませんでした。税金を納めていないなんていう話も聞かないし、近所の学校に兄弟全員通っていたし。
 ネットでの悪意はヒシヒシと感じるものの、実態のある個々の人物がそういった発言をおおっぴらにしたり行動を目にすることは最近までありませんでした。
 とおり名に関しては持っている子もいたのかもしれませんが、使っている子はいませんでした。社会に出て仕事で知り合うまで実際には出会ったことがありませんでした。
 批判する人から言わせれば「通り名だから在日だと気づかなかっただけだろう!」といわれそうですが、私学って結構うわさが立つので、在日で通り名を使っている人がいればそれなりにうわさで知っていたと思うんです。
 だから逆に、通り名を持っていても、在学中は本名で通していた子もいるのかもしれません。

 だから在日問題に関しては常に「温室」育ちなんです、私は。
 そういう私が読むと、インパクトがある日記(記事)でした。


 在日の知り合いの中には、何が大変かを話す人もいたけれど、話すことで自分が被害者ぶっていると思われるのを嫌って大変な部分を隠す人もいました。大人になってから、彼女たちの言わなかった大変さを知り、「こどものころからいろいろ苦労したんだなぁ」と思うことは何度かありました。
 親や祖父母世代の感覚と、日本語しかしゃべれない世代の感覚の差とか、在日特権の恩恵にあずかっていないにもかかわらず、ぶつけられる嫌韓感情とか。


 こうした思い出とか具体的な出来事は非常にプライベートなことなのだけれど、こうしてblogに書くと、公のものとして取り扱わなくてはいけなくなります。
 だから大概は匿名日記として書くことで終始してしまうのでしょう。実際私も、過去の思い出をweb日記で書いたことから
「それはすべての在日に当てはまることではないから書いて欲しくない」
という批評をされたことがあります。非難ではなく、批判・批評を。


 プライベートな思い出で、差別に関する言及を含んでいなくても、在日問題に直面している人にとっては
「それは私たちの多くの抱えている問題とかけ離れているから公にしてほしくない」
と発言したくなるワケです。


 でもそうやって個々のであった出来事を封印してしまうと、在日の多様性を否定してしまうことになるんじゃないでしょうか。
 「こんにちはこんにちは!!帰化手続き中の在日です! 」が良エントリーだったから別の良エントリー「それじゃ便乗して民族学校通ってた在日もちょっと書いてみるか。」を引っ張りだしています。

 こうやって良エントリーが次の別の体験を引き出すことで、多様性を具体的に示していくことで、少しずつ見えない溝が埋まっていけば、ネットをやっている意義があるんじゃないかなぁとちらっと思ったりするわけです。


 ああ今日もまとまんない。
 でも一応〆る。

 タイトルからかけ離れちゃったからなんとかしよう。

 ええと、で、こういう多様性の問題って「3行で頼む」言われても3行にまとまらないから「多様性」なんだよ。
 3行でまとまるくらいシンプルな問題じゃないだよ。
 これでいいかな? だめか。

追記

  私が感情的に一番しっくりきたのは「帰化しない在日」の方のエントリーだった。

 こどもの頃、遊びに行った先で大人たちが冗談で
「そんなにこの家がすきなら、ここの子になるか」
と言った。
 甘やかしてくれるし、お菓子もたくさんある。そういう家でも結局私は首を横に振る。

 そこにある経済的な豊かさや穏やかな家風よりも、実の親への思慕のほうが強いからだ。
 そりゃさ、1日2日いるならいいけど、親を離れて「よそんちの子」になるのはでけんよ。
 だけど、例えば親が借金取りに追われてたり、他の兄弟が病気で大変だったら、親元にいたいなぁと思うのと同時に、「やっぱ、私はあっちんちに行ったほうがお互いよくないかな」って思うんじゃないかな。

 うちの親の世代だと、男兄弟だけで6人とか7人とかいて、そのうち何人かが頭がいいと真ん中らへんが養子に出されたりした。全員大学まで通わせるだけのお金はないからだ。実際、うちの父親は3歳以上まで生き延びた中で数えると五男だったが、お兄さんのうち二人が養子に出されている。Sという苗字を名乗っていない。
 じゃあって伯父さんたちの仲はっていうと、法事とか結婚式で会うと大概とてもいい。ただ、三男さんは養子に出されたことを非常に恨んでいるそうで、S家の行事のうち弔辞には駆けつけるが冠婚には絶対に来ない。

 これを国に置き換えたら、分かりやすいんじゃないかなぁ。

 つかさ、この問題を感情的に(もっというと経験不足から想像力が欠如して)理解できないで、とんちんかんな質問を繰り返すのは男の人のほうが多い気がする。
 女なんて社会的に「嫁に行く」立場だから、実家と婚家で利害対立して板ばさみになるとか歴史的にしょっちゅうあったことだから、簡単に「どちらの立場を取る」なんて考えられないよ! っていうことを知っている。あるいは婚家と実家の経済状況が大きく差ができて一方が他方を援助することになったときの居心地の悪さとかね。その状況がいやだからって簡単に子どもをつれて「実家へ帰ります!」とはいえないし。実家と婚家とどっちが大事! と言われたらものっそい悩む。それを考えたら、在日の人たちに「カエレ」とか「日本と韓国が戦争になったらどっちにつくんだ」とか言って即答を求めるなんて愚にして安易な言動は出てこないと思う。

 究極に追い詰められたら、答えを出すけど、そうでなきゃ
「どっちも大事」
ってことがあると思う。
 その上で国籍はどっちにするっていうのを決めただけの状況の人が多いんじゃないだろうか。